甲について

西條そば甲の道順

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運命

「西条で、そば屋がしたい。」

石鎚山 うちぬき 始まりはこの言葉からでした。
愛媛県西条市。
この地に人生の運命を感じたのは、なんの変哲も無い何気ないドライブ中。
丹原から新居浜へ向かう途中、それは突然やってきました。
「水の都西条」
目に飛込んでくるその景観は、情緒あふれる城下町・方々から湧出る水・穏やかな海と雄大な山。
関西で生まれ育った私にとって、愛媛県西条市は全てが美しく完璧でした。
特に中でも名水「うちぬき」は私自身の何かを変えるぐらいの衝撃があり、その時、直感でこう感じました。

「西条で、そば屋がしたい。」

想い

サラリーマン時代 当時、アパレルジーンズメーカーの営業マンをしていた私は、ごくごく一般的なサラリーマン生活を送っており、周りの環境にも恵まれ1歳になる娘と家内との充実した日々を過ごしていました。しかし、あの言葉を口にしたあの日から、その想いは募るばかり。現実と虚構の狭間で想いだけが先行していました。
ある日ある一つの考えに到達しました。
「自分を信じる。」
シンプルな言葉使いですが、その当時の私の全てが凝縮されている気がします。
しかし当然ながら私の周囲の人々は、サラリーマンを辞めてそば屋になる事に猛反対。その都度「自分の直感を信じる。」それが全ての想いでした。

ついに会社に辞表を提出。
「そば屋になるので会社を辞めます。」
32歳の冬でした。

背水の陣

山梨県時代 蕎麦打ちに最も必要なものは「粉」「水」「技術」と言われております。
私の目標は「西条でそば屋をする事。」言い換えれば、西条の名水うちぬきで打ったそば屋である事。本当の意味での「蕎麦」を理解しなければ西条での出店は無いものと考え、当時1歳の娘と家内を連れて山梨県北巨摩郡(現 北杜市)へそば打ち修行のため移住しました。すべてを捨ててゼロからのスタート。あるものは、目の前の家族と、あの言葉。
「西条で、そば屋がしたい。」
必死になりました。もう後にはひけません。夢を叶える為に。
「背水の陣」という言葉がこれほど身に染みた時はありませんでした。

到達と始まり

開店当時の西條そば甲 ある一定の「蕎麦」を理解したものと考え、山梨県北巨摩郡を去る事に。
平成16年秋、愛媛県西条市へ移住。夢と希望を大きく膨らませて西条へ来ましたが、何のツテも無い私はただの人。毎日店舗探しに奔走するものの、カネ無し・人脈無し・何もなし...、無情にも半年が過ぎた頃、今の店舗を貸して頂く事になり、やっと、やっと、西条で生きて行ける足がかりができました。
「夢の到達。」
「西條そば甲」平成17年春開店。
西条のお蕎麦は一番旨いという想いから命名。
事業目的は「蕎麦を通じて地域に貢献する」を掲げていました。
しかし、これは「夢の到達」ではなく、そば屋として生きていく始まりでした。

理想と現実

絹かわなすのお蕎麦 満を持しての開店となり、「西條そば甲」がオープンしました。
自家製粉・手打ち蕎麦屋として西条に「西條そば甲」ありという心意気でおりました。開店から3ヶ月間は開店需要・開店効果という言葉の通り、たくさんのお客様にご来店頂きました。が、日々の経過と共に来店客数も減少してゆき、半年を過ぎたある日の一日の来店客数が5人という日がありました。
理想と現実が交差し、ある一つの考えに至りました。「原点に戻る事。」
なぜそば屋をしているのか?
誰のためにそば屋をしているのか?
原点は何か?
「蕎麦を通じて地域に貢献する。」の意味は?
その時、朧げながらに出た答えは、私は自分のために蕎麦を打っていたのではないだろうか?という事です。本当の意味での「蕎麦を通じて地域に貢献する。」に至っていなかったのではないか。結果、お客さんの需要に対して貢献のできるご当地そばの提案に至りました。それこそがご当地そば屋の確立です。私の西条への仕事のあるべき姿です。

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